沖縄県知事選の決着と既視感
ここ最近、政治回りの動きではいろいろなことがあって、いろいろ考えさせられましたが、なんといっても最大のイベントは沖縄県知事選挙だと思います。
結局は新人の古謝さんが圧勝、という形で幕を下ろしました。
あれほど優勢をうたわれていた現職のデニー玉城候補が、こんなにも圧倒的な大差をつけて負けたことは、意外といえば意外でした。
また敗者の弁として語られたのが「SNSでのデマ、誹謗中傷が横行」「SNSの規制が必要」ということでした。
これを見て多くの人は私と同じ既視感を感じたのではないでしょうか。
そうです。
今年初めの衆院選での中道改革連合、というより旧立憲民主党の惨敗と、旧立憲幹部の敗戦の弁です。
この人たち、まったく同じこと言ってます。
これに対して、一般的にまともな考え方の一般市民の多くが共通して思うことは以下だと思います。
「ダメだ、こりゃ。」
見事なまでの他責思考です。
この際だから、わかりやすく敗戦理由を分析します。こう考えるのがまともな人間というものです。
・有権者は左とか右とかイデオロギーはさほど重要ではない。重要なのは「自分たちの暮らし。」
・「暮らし」とは経済環境や安全保障環境などを意味する。重視しているのはそこ。
・冷戦終結、経済のグローバル化、地政学的リスクの変化等で環境は大きく変化している。
いつまで戦後の価値観をひきずるのか。経済政策や行政効率化への関心が国民の最大の関心事。
・そこをろくに語りもせずにブレブレで選挙に挑んだ中道が負けるのは火を見るより明らか。
・同様に沖縄県知事選にしても、他候補や政府の批判をせず、頑なに沖縄県の経済推進、県民の
生活水準向上の具体的政策を語り続けた古謝さんが勝つのは必然。
・沖縄県民は過去8年間の実感として、生活が良くなっているとは決して思わなかった。
つまり現職の県政に対して、ある程度懐疑的になっており、将来の展望も説得力に欠けた。
・SNSは即時性、従来のメディアゲートキーパーを経由しない情報発信、多様な意見の可視化など
の長所がある一方で、情報の真偽の不確定さや、感情的煽り、デマの拡散、エコーチェンバー
(自分と同じ意見ばかり見える現象)などの負の局面がある。
こうしたSNSの功罪も利用者は十分に理解している。
まあ、こんな感じで、要するにSNSの影響を挙げるだけでは、政策や県政への評価を含む敗因分析になっていません。有権者はそれらの情報をいったん呑み込んで、自分にとって必要な政策を実現してくれる候補を選ぶものです。ものごとの道理を理解している人は、「SNS以前の問題」と理解しています。
有権者は政治家が思っているほどバカではありません。その証拠がこれらの選挙結果です。
でも、同時に政治家は有権者が思っているほど賢くなかったことがよくわかりましたね。
中道改革連合の顛末の必然性
私、衆院選前の記事で中道は崩壊して元鞘に戻る、などと書いたのですけど、ちょっとだけ違ってましたね。
なんと立憲議員は元鞘にも収まることを拒絶されています。いや、予想以上。
別に予想が的中したから自慢したいなんて気持ちはありません。なぜなら誰の目にも明らかだからです。
わかっていなかったのは当事者だけじゃないでしょうか。
いや、当事者でも、公明党の人たちは、もしかしたらわかってたかも。
これ建前を全部引きはがして本音だけにすれば今の顛末は概ね誰にも理解できる、いわば必然なのです。
・中道はただ票を稼ぐたいがためにくっついた。政策、理念などあとまわし。選挙優先。
・支持基盤の票数を足し合わせたら、楽勝なんじゃね?なんせ、連合と創価学会やで。
・政党助成金は最大限いただくつもり。だから参議院、地方では旧政党を残しました。当然でしょ。
・残りの助成金も当然最大頂きます。だから中道は残します。だってもらえるもんは貰わないと損。
・クラファン?返すわけないやろ。なんで俺らがもらった金についてごちゃごちゃいわれなあかんねん。
・公明党「うちら全員選挙通ったんで、全員元鞘に戻りますー。オツカレー。」
・立憲(こいつら、やらかしよったな。元に戻したらうちらの評判もさがるかも)「お前ら帰ってくんな!」
・とりあえず適当に会派作って、ほとぼりが冷めたら元に戻ろうや。だから政党交付金は諦めたらあかん。
はい。以上が建前をはがした真実の声です。もちろん私の想像ですけどね。
でもこう考えたら、起こったこと全て必然で、何の矛盾もありません。
ただ建前作らなあかんからややこしくなってるだけ。
みなさんも多分、わかっててイジってるだけでしょ。だって全部の考え、スケスケなんですもの。
まあ、こんなのにお金を思い通りにされることだけは許しがたいですけどね。
なんとかそれだけは阻止したいですね。
左派政党の零落
社民党、立憲民主党(中道)、れいわ新選組(いのちの党)、そして共産党。
これらの政党はもう支持率もほとんどありません。
壊滅状態といっても過言ではないです。
だってこれでは、野党としての役目を何一つ果たせないじゃないですか。
では、なぜ左派政党ばかりがこのような憂き目にあっているのでしょうか。

社会の不満を代弁するという自己認識だけで、支持が広がる時代は完全に終わっています。
格差や貧困への対策は確かに必要です。でも、必要な課題を掲げていることと、その政党が適切な解決策を持っていることは別の問題です。掲げた理念と、実際に暮らしを改善する能力は、別々に評価されるべきです。
野党には野党としてしっかりと行うべき政権、政策批判はあるはずです。そのために政党には政党交付金として公金が配分されているはずです。ささいなことならXで十分。それなのに、自分たちが国民の意見を代表するみたいに勝手に意気込んで、しょうもない週刊誌のゴシップを片手に、あーだこーだ、あたかも国民の意見を代弁してるふうにがなり立てて、大事な国会を空転させる。
こんなもん、誰が支持するねん?迷惑以外の何物でもないんです。なんでそれが理解できない?
左派が生き残るには、やり方を全部改めないといけません。
今どういう状態かというと、自分は弱者の味方であり、平和を守る側にいる。その自負が強くなりすぎて、政策への批判まで自分の善意に対する攻撃に見えてしまっています。間違いを認めることが、過去の自分や仲間を裏切ることになる。こうして、現実に合わせて考えを改める作業が難しくなっている。そんな感じでしょうか。
繰り返しますが、国民はもうイデオロギーなんか重要ではない。冷戦は終わってるんです。そんなことより、中国、ロシアの脅威にどう備えるか。少子高齢化で労働人口が厳しくなっていく状況下で、外国人移民の増加に伴う不法移民の増加による社会の崩壊をどう食い止めるか。そっちでしょ。
思想には、本来、現実に向き合う力が必要です。根拠が崩れれば説明を変え、政策が失敗すれば手段を改める。その作業を拒んで、自分の思想を守ることが最優先になれば、思想は自己防衛のための言葉になってしまうでしょう。
不法滞在の外国人に人権、人権いうのはええけど、それらに命を奪われた人の人権はどないやねん、思想にこだわらんともっと現実を見てくれよ、とそういう話ですよ。
左派思想の方というのは、そのあたり融通が利かず、頑なです。自分の思想にとらわれるあまり、矛盾に気が付いていない、というか見てみないふりをしています。
オールドメディアの罪
オールドメディアも、それを担う人のイデオロギーが左派によっていることが原因で、マスメディア本来の機能を果たせていません。
SNSの普及がもちろんメディアにとっての最大の環境変化です。
現代社会の課題は、特定のイデオロギーの勝敗ではなく、多様な立場をどのように調整し、共通の課題に向き合うかです。左派・右派の別なく、「自分たちの見方が正しい」と確信し、異なる見方を排除しようとする傾向は、民主主義の機能を損なわせます。逆に、異なる立場の人々が、互いを尊重しながら議論できる環境こそが、より良い政策決定につながります。
SNSの登場により、政治的な言論空間は確実に変わりました。その変化に対応し、より成熟した政治的対話ができる社会へと進化していくことが、現代日本に求められている課題です。その中で、既存のマスメディアにも当然果たすべき役割があって、それはSNSでは代用できないことです。マスメディアは、「こういう考えもあれば、一方でこうも考えられますよ。」「こっちの立場からはこうです、一方で反対の立場からはこうです。」というふうに、あくまでも情報を客観的に扱って、できるだけ材料を提供し、見る人が考える手助けをしなければなりません。
また、マスメディアは実際に取材を行ってできるだけ事実を確かめ、根拠の強弱を伝えることも役割です。そしてそれを実行する力を持っているはずです。SNSと同じことをしていてはいけません。いわゆる「コタツ取材」みたいなものは言語道断です。
一方でSNSは「私はこう思う。」「いや、私の考えはこうだ。」と多くの人の考えや意見を可視化する場になって、そこで議論が生まれる、そんな場なのだと思います。
で、あるにもかかわらず、取材をして材料を提供する役割であるはずのマスメディア自身が、相変わらず自らのイデオロギーに固執して偏った報道を続け、コタツ取材に基づいた情報を報道するのみならず、あまつさえ、SNSを自分たちの敵と認定し、この役割を奪うような方向へもっていこうとさえしている。
これを「マスメディアの機能不全」と申し上げています。
マスメディアとSNSはその果たすべき役割が違うのです。
それが理解できないのならば、もはやマスメディアは必要ありません。
まとめ
「左翼はもはやイデオロギーではなくパーソナリティー」
これは結局のところ、今のこのこういう状態に対する私の批判です。
左派の人たちは、ただただ自分の考えの間違いを認めることが出来ず、自分たちの思想に固執して状況に合わせた柔軟な対応を拒絶している風に見えます。これは右派が正しいといっているわけではありません。比較的右派と呼ばれる方々の思考の方が、状況を鑑みると、より現実的に見えるといっているだけにすぎません。
選挙というのは、これこそが国民の総意を代表するものだと私は思います。
共産党の田村さんが今回の沖縄知事選の結果を受けて、「これが県民の総意だとは思えない。」と発言しましたが、私から見れば、これこそがまさに左派の頑なさを如実に表している発言です。
自分たちがマイノリティーになっているのは、それなりの理由があります。
かんたんに言えば、国民の多くはそう思っていない、ということの証左なのですから、なぜそうなのかを考える必要があるはずです。にもかかわらず、「いや、正しいのは自分たちだ。」という。
もちろん、マジョリティがいつも正しいとは言いません。だからといってマジョリティの意見を「間違っている」とすることもいただけません。なぜ間違っているのかを説明するべきで、そしてその理由はSNSだけではないはず。

「多くの人が間違っている。」「そして多くの人が間違っている考えを持つのは、SNSの情報に踊らされているからであり、これはもう排除しなければならない。」って、いってて恥ずかしくならないですかね?
これはもう「こういう性格の人」として、くくってしまう以外ありません。
それがすなわち、「イデオロギー、というよりパーソナリティー」と結論付ける所以です。
そして敗北のたびに外部へ責任を求める姿から見えるのは、理念への忠実さ以上に、自分の誤りを認めることへの頑なな抵抗にしか見えません。左派が信頼を取り戻すために必要なのは、まず、自分たちの判断も間違いうるという当たり前の出発点に戻ることではないでしょうか。
もう左だ、右だという対立は意味をなさないのです。その証拠に左派は淘汰されつつあります。
「政権与党の主張するこれはおかしくないか?」「いや、これはこういう意味で間違ってないで。」
「維新と参政党はどの意見がどう違うんや?」「いや、これに関しては日本保守党の主張が一番合理的やで。」
「国民民主党のこれは正しいのか?」「いや参政党の意見の方が正論や。」
みたいな活発な意見が交わされる中、先に上に挙げた政党はもはやおよびではない状態になっています。
それを我々が如実に目撃したのは、先の衆院選の党首討論や、国会の予算委員会ではなかったでしょうか?
れいわの発言があった時には、「お前はひっこんどけ。」「お前は黙れ。」
立憲議員の「誹謗中傷動画は徹底的に追及する、秘書を喚問しろ。」には「どうでもええわボケ。」
多くの方がそう感じたんじゃなかったでしょうか。
「およびじゃない。」まさにそんな状況ではなかったですか。
これからはイデオロギーに固執するのではなく、もっと別の軸で、各政党や各会派がもっと有意義で国民のためになる生産的な議論を戦わせる社会を望みます。その軸はいくらあってもかまいません。
玉木さんが衆院選の時にいってた、「政策ごとにそれぞれが会派を組む。」これでええと思いますよ。
同じ意見なら、共産党と自民党が組んでその政策通しても、別にいいじゃないですか。


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