2012年春、フジテレビ『ノイタミナ』枠で放送されたアニメ『坂道のアポロン』は、1960年代の長崎・佐世保を舞台に、ジャズを通じた青春と友情を描いた傑作です。小玉ユキさんによる原作漫画を、渡辺信一郎監督、音楽監督に菅野よう子さんという『カウボーイビバップ』コンビで映像化された本作は、音楽アニメの金字塔として今なお多くのファンに愛され続けています。
音楽アニメでも、前回紹介した「四月は君の嘘」のようなクラシックではなくジャズが題材になっています。
『カウボーイビバップ』も主題歌の「TANK!」をはじめ、作中音楽はかっこいいジャズのオンパレードでした。この作品も各話のタイトルがジャズの名曲のタイトルになっています。この作品きっかけでジャズにはまった方もいるのではないでしょうか。
物語の舞台と設定

1966年初夏、船乗りの父親の仕事の都合で、横須賀から長崎県の田舎町へ転校してきた一人のナイーブな少年・西見薫。転校を繰り返してきた彼は、対人関係のストレスから吐き気を催すほどの神経質な性格でした。優等生でクラシックピアノを得意とする薫にとって、新しい環境は常に試練でした。
そんな薫の前に現れたのが、バンカラな男・千太郎との出会いです。「札付きのワル」として恐れられる破天荒なクラスメイト・川渕千太郎。二人の出会いは、薫の高校生活を思わぬ方向へと変化させていきます。
舞台となるのは長崎県佐世保市、時代はなんと1966年です。この時代設定が作品に独特の味わいを与えています。戦後の高度経済成長期、米軍基地のある佐世保という港街。また、学生運動が活発なこの時代において、米軍の原子力潜水艦や原子力空母が寄港したことで全学連による大きな反対運動がおこったというこの街のこの時代背景は作品の重要な要素でもあります。また、登場人物が話す長崎弁というか佐世保弁も非常に作品にいい味を出しています。
菅野よう子が奏でるジャズの魅力
本作の最大の魅力は、何といっても音楽です。プロデュースは菅野よう子、演奏には松永貴志(ピアノ)や類家心平(トランペット)、石若駿(ドラム)などが参加しており、劇中の演奏シーンは圧倒的なクオリティを誇ります。

薫と千太郎を繋げたのはジャズです。薫はジャズを野蛮な音楽、それに対して千太郎はクラシックなんてつまらないとお互いにけん制しあっていました。しかし、千太郎に誘われて地下室でドラムとピアノのセッションを行った時、薫は初めてジャズの持つ自由さと楽しさを知ります。
作中で演奏される楽曲は、「Moanin’」「But Not For Me」「My Favorite Things」など、ジャズの名曲ばかりです。特に印象的なのは、神回といわれる第7話「Now’s The Time」での文化祭の演奏シーンです。
電気系のトラブルによって混乱した舞台、「間をつなぐ」といって薫がピアノに向かいます。そこで律子が好きな曲だという「My Favorite Things」を奏で始め、そこにすかさず千太郎のドラムが参戦します。
「My Favorite Things」から次は薫が律子にささげた曲「Someday My Prince will come」さらに初めてジャズに触れた曲「Moanin’」とつなぎます。当然完全アドリブのピアノとドラムのジャズセッションですが、たくさんの聴衆を集め、会場は大歓声につつまれるという、アニメ史に残る名シーンです。
演奏シーンのアニメーションも素晴らしく、指の動き、楽器の操作、身体の揺れなど、細部まで丁寧に描かれています。実際の演奏を研究し、それを忠実に再現する努力が、画面から伝わってきます。
そもそも「My Favorite Things」は原曲はジャズではなく、映画「Sound of Music」でジュリー・アンドリュースが歌っていた名曲ですが、ジョン・コルトレーンがジャズにアレンジをして、それ以降もこの曲はいろんなアレンジバージョンがでています。私もかつていろんなバージョンの「My Favorite Things」を集めたことがあります。律っちゃんボーカルバージョンの「My Favorite Things」も本作のサウンドトラックにはいってます。
Youtubeでも聞けますから一度聞いてみてください。


友情という名の絆
本作が描くのは、恋愛よりもむしろ友情です。恋愛よりも友情の方が強く描かれた作品であり、薫と千太郎の関係性こそが物語の核心となっています。
クラシックピアノを嗜む優等生の薫と、ジャズドラムを叩く不良の千太郎。一見正反対に見える二人ですが、音楽を通じて深い絆で結ばれていきます。言葉では表現しきれない想いを音楽で伝え合う二人の姿は、友情の美しさを象徴しています。
千太郎は自分の居場所を見つけられずにいた孤独な少年でした。混血児という出自から周囲に馴染めず、「ワル」として振る舞うことで自分を守っていたのです。そんな千太郎にとって、音楽は唯一の表現手段であり、薫は初めての対等な友人でした。
一方、薫も転校を繰り返す中で心を閉ざしていました。しかし、千太郎との出会いにより、初めて「友達」と呼べる存在を得たのです。二人の関係は、互いの弱さを受け入れ、支え合う真の友情へと成長していきます。
複雑に絡み合う恋愛模様
友情が中心ではありますが、本作は恋愛模様も丁寧に描かれています。薫は千太郎の幼なじみ・律子に、律子は千太郎に、千太郎は上級生の百合香にと、それぞれの恋心が複雑に交錯します。
薫が恋心を抱く律子は、レコード店「ムカエレコード」の娘で、千太郎の幼馴染です。心優しく控えめな彼女は、ずっと千太郎に想いを寄せていました。しかし千太郎の心は、ミステリアスな上級生・深堀百合香に向いています。百合香は淳兄に魅かれており、3人の恋心はどれも報われないという、この四角関係がさらに物語を複雑にしています。
それぞれが報われない恋に苦しみながらも、音楽を通じて気持ちを昇華させていく様子が、青春の甘酸っぱさとほろ苦さを表現しています。特に律子の健気さは多くの視聴者の心を打ち、彼女の視点から見ると、また違った物語が見えてきます。

渡辺信一郎監督の演出
『カウボーイビバップ』で知られる渡辺信一郎監督の演出も、本作の大きな魅力です。ジャズという音楽を知り尽くした監督だからこそ、演奏シーンの緊張感と高揚感を見事に映像化できたのでしょう。
カメラワークも秀逸で、坂道の多い佐世保の街並みを効果的に使った構図が印象的です。タイトルにもある「坂道」は、人生の上り下りや、登場人物たちの心情を象徴するメタファーとして機能しています。
また、1960年代という時代の空気感も丁寧に再現されています。佐世保の街並み、学校の雰囲気、服装、小道具など、細部まで時代考証が行き届いており、視聴者を60年代の長崎へといざないます。
声優陣の好演
木村良平さん、細谷佳正さん、南里侑香さん、遠藤綾さん、諏訪部順一さんなど、実力派声優陣の演技も本作の魅力です。
木村良平さんが演じる薫は、繊細で神経質な少年の雰囲気を見事に表現しています。内向的でありながら、音楽に対する情熱を秘めた薫の二面性が、声の演技から伝わってきます。
細谷佳正さんが演じる千太郎は、粗野でありながら純粋な心を持つ青年です。不器用ながらも真っ直ぐな千太郎のキャラクターを、力強くも温かみのある声で表現しています。
南里侑香さんの律子、遠藤綾さんの百合香も、それぞれのキャラクターの魅力を引き出す好演を見せています。特に私は南里侑香さんの演じる律子の佐世保弁の声が好きで、控えめで健気な様子は、南里侑香さんの柔らかな声質と相まって、心に深く響きます。
主題歌の素晴らしさ
オープニングテーマ「坂道のメロディ」は、なんと元JUDY AND MARYのYUKIさんが歌います。YUKIさんが作詞・歌、菅野よう子さんが作曲・編曲を担当しています。爽やかでノスタルジックなメロディはYUKIさんの独特のボーカルにぴったりで、作品の雰囲気にもマッチしており、聴くだけで青春の日々を思い起こさせます。
エンディングテーマ「アルタイル」は、秦基博さんが作詞、菅野よう子さんが作曲・編曲です。秦基博さんのせつないボーカルと「あの坂道で君を待っていた」「教科書の隅に書いた手紙は、いつまでも届かずにあの日のまま」という歌詞が、物語の余韻を美しく締めくくります。この曲も私のFavorite Songs のひとつです。

1クールでまとめた構成の功罪
本作は全12話という1クールで放送されました。原作は全9巻+番外編という長さですが、アニメではその中から重要なエピソードを厳選し、薫と千太郎の高校時代を中心に描いています。
この構成には賛否両論があります。確かに、原作の後半部分や大学時代のエピソードがカットされているため、物語の全体像を見ることはできません。しかし、1クールに凝縮したことで、テンポよく、濃密な青春ドラマが展開されています。
最終話では、千太郎が失踪して3人がバラバラになった後8年が経過します。百合香と偶然出会った薫が千太郎らしい人物がいるという話を彼女から聞き、薫が千太郎を訪ねて二人は再会するという、希望を感じさせる結末で締めくくられます。
原作のすべてを描ききってはいませんが、一つの物語としての完結性は保たれています。千太郎のいる離島の教会でオルガンを弾き始める薫、当然のようにドラムで参加する千太郎、大喜びする子供たち。このシーンだけで十分に満足感のある終わり方と言えるでしょう。
まとめ – 音楽が紡ぐ青春の輝き
アニメ『坂道のアポロン』は、ジャズという音楽を通じて、友情、恋愛、青春の輝きと苦悩を描いた傑作です。菅野よう子さんによる本格的なジャズ演奏、渡辺信一郎監督による洗練された演出、実力派声優陣の熱演。すべての要素が高いレベルで融合し、唯一無二の作品世界を作り上げています。
音楽アニメとしても、青春アニメとしても、そして友情を描いた作品としても、本作は第一級の出来栄えです。ジャズに詳しくない人でも十分に楽しめますし、むしろこの作品をきっかけにジャズの魅力に目覚める人も多いでしょう。
1960年代という時代、佐世保という街、ジャズという音楽。これらの要素が絡み合い、かけがえのない青春の日々を描き出しています。薫と千太郎の友情は、音楽を超えて、時代を超えて、視る人の心に深く刻まれるはずです。




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