自民党の総裁選が終わり、この度高市早苗総裁が誕生いたしました。
自民党は単独与党でもないし、公明党との連立でも衆議院、参議院とも過半数をとっていないわけですから、理論的には自民党の総裁=内閣総理大臣とは必ずしもならないわけですけど、まあおそらく総理大臣となるでしょう。そうなれば日本では史上初の女性総理大臣の誕生です。歴史的瞬間です。おめでとうございます。
働いて、働いて、、、の件
当選直後の挨拶といいますか、所信表明の文言で、結構いろいろと話題になっていますね。
自民党の議員はもう数が少ないのだから、全員にもう馬車馬のように働いてもらう、自分自身も働いて働いて働いて働いて働いてまいります、ワークライフバランスは捨てる、とまあそのような意思表明をされたわけです。
私もリアルタイムで聞いておりましたから、この言葉を聞いて、確かに自民党はこれまでさんざんに国民の信頼を損なう失政を重ねてきたわけですから、そりゃそんぐらいのことを言って気合を注入しないと本当にダメになってしまいます。なんとかまともな人をトップに据えて首の皮一枚つながったのだから本当に必死になって頑張っていただかないと、というふうにこの言葉を非常に好意的に受け止めたわけです。

普通そうですよね。そう思いますよね。これはそんなに変わった感想では決してないと思いますし、大多数の方がそんな風に感じたんだろうな、と思っておりました。
なので翌日ぐらいに、このコメントに対して批判が出てるとか、何なら炎上してるとかという情報をネットで見て正直驚いたわけです。なんか批判されるようなこといってたかな~?と。
ちなみにワークライフバランスということを考えて、早期退職をお考えの方は当ブログのこちらの記事を参考にしてください。(宣伝)
どう考えても、、、
例えば、中学、高校での現代文の試験問題かなんかで、この高市さんの演説文を引用して、次のような問題がでたらどうでしょう。
問1:次のア~オのうち、筆者の言いたかったことで正しいものひとつ選びなさい。
ア. 日本国民はワークライフバランスという考えは捨て、一生懸命働くべきである。
イ.人間は馬と同じである。
ウ.自民党の議員はこれからが正念場なので、自身も含めそれこそ必死に働かなければならない。
エ.働き方改革は間違った考え方だったので改めよう。
オ.私も一生懸命働くので、国民の皆さんも私のように働いてください。
こんな問題が出た場合、これ間違う人っています?
いるかもしれませんが、ほとんどの中高生は間違えないと思います。小学生でも。いうたら悪いですけど、よっぽど頭が悪いというか、残念な人でなければね。
舐めすぎやろ、、、
じゃあ、なんでテレビであのような報道のされ方をして、この言葉に非難があつまっているのでしょうか。
テレビの人たちは本当に残念な頭の方たちしかいないのでしょうか。
本当に残念な頭の方たちしかいないのかもしれませんけど、たぶんそうじゃないでしょう。結構ええ大学出てる人たちですよ。あの人たちって。
もうお判りでしょうが、意図的に捻じ曲げて批判をしているわけです。客観的にみたらそれが間違いって誰が見てもわかることなのに。なぜそれを押し通すのでしょうか。私から見れば茶番もええとこですけど。
みなさんももう少し怒る必要があるとおもいますよ。なぜならマスコミ、オールドメディアの連中は、こういう受け取り方が明らかに間違っているということを分かったうえで、それでもテレビで流している。
はっきり言えば、テレビを見ている連中にはわからんだろう、という風に視聴者をバカにしているわけです。
こういうこと許してていいのかな?ものすごく気分の悪いことですよ。そういう視聴者というか一般市民をすごく見下しているという態度が本当に気分が悪いです。だから私はテレビを見ないようになりました。
陰で自分を馬鹿にしてる人のいうことって信じていいの?
テレビと同じように、のっかって批判している連中、要するにリベラル的な思想の人たちですけど、これもまあ同じですよね。いや、本当のバカなのかもしれませんけど。なんせ某共産党の某委員長って、ようするに上の問題で答えとして「イ」を選んだってことですからね。
「馬車馬のように」という言葉は「働く」という言葉の枕詞みたいなもんじゃないですか。「馬車馬のように」の後には「働く」以外の言葉はこないわけですよ。ただ「働く」というより、それこそ死に物狂いで働くというニュアンスを一番表現できる、昔から普通に使われてる日本語じゃないですか。
それをそういう無理やりな「人間は馬じゃない。」って批判をしたわけですけど、かえって
「じゃあ、お前はもう出馬するな。」と返されて赤っ恥をかきましたね。というか、そういう粋な言葉遊びができる人、かっこいいですよね。尊敬します。
そして某委員長さん、自業自得です。恥ずべき行為をした人は恥をさらされる。あるべき姿ですね。
だから人は自分に恥じないように生きる努力をするんでしょうが。
別にリベラルとか左巻きの人を批判したいわけではないのです。言いたいことは「無理やりすぎるだろ」っていうことです。そんな批判、誰も納得するわけがないことがなんでわからないんでしょうね。私が一番頭にきてるところは、彼らが「これでも納得してくれるバカが世の中にはたくさんいるだろう。」と思ってやっていると思えることです。人を馬鹿にして見下すのもたいがいにしろ、といいたい。
そして、そんな気持ちが根底にある人のいうこと、本当に信用していいんですか、っていうことです。
今にはじまったことではないけど
私が「なんかテレビっておかしいな?」と気が付いたのは、2016年のアメリカ大統領選の報道の時でした。なんかテレビを見てたら絶対に民主党のヒラリー・クリントンが圧勝でトランプさんは惨敗するみたいな論調でしたので、実際クリントンが勝つんだろうなあと漠然と感じていました。しかし実際はそうではなかった。
大統領選の件だけでなく、それ以前からテレビのワイドショーなどで報道している件については、なんとなく違和感を感じていたのです。どうもテレビの出演者が言ってることはなんか違うような気がする、本当はこうなんじゃないの、ということがあちこちでありました。それがもう大統領選で確信に変わりました。
たぶんこれでも気づくのが相当遅かったんでしょうね。
「こいつらの報道は客観的ではなく、意図的にバイアスがかけられている。」と。
それで見切りを付けました。「テレビは信用してはいけない。」と。
たぶん今に始まったことではなく、昔からずっとこういう風にやってたんでしょうね。ただ巧妙にやってたのか、他に検証する手段がなかったから気が付かなかっただけなのか。気づいている人はもっと昔から気が付いていたんでしょう。
ただわからないようにやってるんなら自分が気をつけていればそれでいいや、と思っていました。やがてネットなどの情報で裏を取るだけ面倒くさいので、もう初めからネットから直接情報を得ればいいや、ということでテレビから離れていったわけです。しかし今はもうあからさまでしょ。「なりふり構わず」という表現がしっくりきますからね。
小泉優勢ってどう考えたらそういう結論になるのか?
実際今回の総裁選の件にしても、選挙で自民党の支持層がどんどん離れていって、いよいよ自民党はこのままではダメだ、という状況になっているのに、まあ石破さんが総裁になった時点でもう自民党は完全に終わったとおもいましたけど、今回の石破さん辞任による総裁選って、これ自民党にしたらもう最後のチャンスだったわけです。この路線を継承したらダメだよと、もしそのことを自民党の議員がわかってないんだとしたらもう絶対にダメだなという状況の中で、小泉さんなんて私に言わせればノーチャンスのはずなんです。ようするに崩壊の一途をたどるか、ギリギリ踏みとどまれるか、というなかで、テレビは、(見てないから知りませんけど)やたらと小泉優勢を叫んでいたそうですね。
もしかしたら前提を忘れている方がいらっしゃるかもしれないので、念を押しておくのですが、自民党総裁選はあくまでも自民党員だけでおこなわれる党内の選挙です。一番国会の議員数が多い政党なので、その結果を全国民が注目していますが、投票権があるのは自民党員だけだということです。
自民党議員に危機感があるのならば高市さん一択だとおもってましたので、小泉さんを推す人はもう自民党につぶれてもらいたいからわざとやってるんだ、という風にしか私には認識できなかったです。
一応結果として自民党はギリギリ踏みとどまったわけです。投票は党員だけで行うわけですから、自民党がつぶれていいという人はいないと仮定すると、高市さんが勝つのは必然だったと思います。まあ党内のしがらみとかいろいろあるのでそんなに単純ではなかったでしょうけど、大局的に見ればそうであったはず。
立川志らくさんも「わからん」といってましたよね。あれが多分一般的かつ合理的なものの見方だと思います。
冷静に考えたらそうですからね。
もっともマスコミは自民党につぶれてほしかったんでしょうから、そういうバイアスでずっと報道してたということなのでしょう。メディアの責任という面で考えれば、これもどうかと思いますが、そういうもんだという風に見ればメディアの小泉推しも必然で、ただまあよくここまで責任を放棄できるものだとあきれるのみで、この件に関してはそれほど腹が立たなかったです。
さすがにそれはちょっと、、、
ただ、奈良のシカの件の高市さん発言の検証、とか、さすがにそれはちょっとやりすぎですね。もはや悪意しか感じない。外国人が鹿に暴行なんて件はずいぶん前から問題になってたし、動画もいっぱい上がってて、何を今さらって感じでしかないのに、しゃあしゃあと「見たことない」という人のコメントだけ報道して、「外国人による暴行は確認できませんでした。」ですって。
そりゃ実際に見たことない人の方が多いと思いますよ。動画でも何時間もカメラ回して2,3件発見できるってレベルの話ですよ。でも全くないわけではない。1件でもあったらクロでしょうが。

よくもまあ、こういうことやったらダメだっていう自制心が働かなかったものです。逆に感心します。
この件でもはっきりと感じました。「あまり人を馬鹿にするのもいいかげんにせぇ」と。
まとめ 「メディアの責任」はメディアの人間だけが理解してない
ここまで一般市民を侮辱するのであれば、やはりそれなりの制裁を受けてもらわないと、どうにも納得がいきませんね。その思い上がりに鉄槌を下さないと延々とこういうこと繰り返すつもりなんでしょう。そもそも政治が機能していないのはメディアが機能してないことに他ならないのです。国をダメにしているという自覚を持ってほしい。
「報道しない自由」よく言われますが、根本的に間違っています。「自由」には「責任」が伴うはず。それはコインの裏表なのです。「事実をあるがままに報道し、評価は視聴者にゆだねる。」のが本来メディアのあるべき姿ですし、それがメディアの責任であるはず。自らの責任も果たさずに「報道しない自由」などあるはずもない。よくもぬけしゃあしゃあといえたものです。
と、いうことでメディアはもう少し謙虚になって、自分たちの責任とは何なのかを改めて自問したうえで、少しは態度を改めた方が良いと思います。さすがに当事者も客観的にみて自分たちの立場は相当まずいことになっているなと気づくはずだと思うのですが、、、
メディアは今回「馬」の話題と「鹿」の話題をとりあげて、自分たちの「馬鹿」さ加減を露呈したという話。
ということで、お後がよろしいようで。


コメント